新たな世界秩序
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米国は19世紀から特許市場を支配してきた。しかし、特許権の弱体化やグローバル化の着実な進展を受けて、こうした優位性はもはや保証されていない。新しい多極的な特許市場を迎える時がきた。
米国は紛れもなく特許市場の発祥の地である。その急成長産業に満ちあふれるイノベーションの精神を原動力として、米国経済が世界最大規模へと成長するにつれ、米国の特許の価値も上昇し、特許権者は自身の発明を他社にライセンスすれば利益になることを認識するようになった。
これは主に、特許が製品化されるかどうかとは無関係に、進取の気性と創意工夫について発明者に報いようとする特許制度のおかげであった。この制度はたちまち、他の判断にも適用される最も信頼できる基準となり、米国の特許は世界全体の知的財産の基準通貨へと進化した。
しかし今日、このことはどの程度当てはまるだろうか。グローバル化と米国特許制度の大変化という2つの要因が新時代の幕開けを示している。米国の特許保護が弱まる中、欧州からさらにアジアへと多極的世界が東方に現れつつあり、アメリカの首位の座を争おうとする勢いである。
米国では差止救済を従来ほど容易に得られなくなったため、代わりに特許権者は、ますますドイツや他の欧州諸国で侵害訴訟を提起するようになっている。2017年に予定される統一特許裁判所(UPC)と単一特許制度の発足は、欧州の法廷地に対する関心をさらにかき立てている。一方、アジアでは、中国がイノベーション経済への移行を目指し、ZTEや華為、小米といった巨大ハイテク企業らが国内最優秀企業として出現したことにより、世界第2位の経済国として特許権を強化してきた。そしてインドでは、政府が国内の知財制度の抜本的見直しに着手したことを背景に、外国企業が同国裁判所で注目すべき勝利を獲得しつつある。
しかしながら、他国市場の発展や米国の問題にもかかわらず、米国の特許市場が依然として重要な利点を備えていることは銘記に値する。同国には、長年流通市場を育成してきた実績と高品質の権利を高く評価する歴史がある。投資家は代替的資産への資本配分に極めて熟練しているため、特許権者にとって資金調達の機会が増している。ライセンス担当役員は今のところ米国市場の利点を評価しないかもしれないが、世界の上場特許不実施主体(NPE)の大半が米国企業であることにはそれ相応の十分な理由がある。
クアルコムの政府問題担当法律顧問のローリー・セルフ氏はこう示唆する。「今日起きていることは特許制度の進化の一部である。振り子は行ったり来たりする。米国の特許制度が永続的な損傷を受けたかどうかを断言するのは、余りに時期尚早である」。確かにそうかもしれない。しかし、状況がどう展開するにせよ、米国の1世紀以上にわたる支配体制はもはや続かないという点は間違いないだろう。

ローリー・セルフ
政府問題担当法律顧問、
クアルコム
「米国の特許制度が永
続的な損傷を受けたかど
うかを断言するのは、余りに時期尚早である」
衰亡?

デビッド・カッポス
パートナー、クラバス・
スウェイン・アンド・
ムーア法律事務所
「私は、EUの状況が制御 不能になって悪循環に 陥る重大なリスクがある とは思わない」

マニー・シェクター 特許担当最高法律 顧問、IBM
「現在、特許適格性の ある主題以上に大きな 争点はない」
過去10年間、間違いなく米国の特許権者は、自身の権利がゆっくりとしかし容赦なく削り取られるのを見てきた。その正確な原因に関する見解は、市場のどの位置にいるかよって変わるだろう。人によっては、何らかの是正が必要だったと感じさえするかもしれない。しかし、特許の収益化に従事する者にとっては、状況が悪化し始めたのは、米国最高裁が2006年にイーベイ対メルク・エクスチェンジLLC事件で下した判決がきっかけだった。この判決では、特に原告が関連特許を使用していない場合、侵害の認定後に差止命令が自動的に発布されるべきではないとの判断が示された。それ以後、米国では差止救済の享受は着実に退けられるようになっていった。
9名の最高裁判事は、ライセンス交渉における特許権者の主要手段の1つを一気に著しく弱めた。確かに、差止の取得は米国での提訴を誘引する唯一の要因ではなかった。原告にとっては、強力な開示手続や高額の損害裁定に加え、敗訴者費用負担条項がないことがその魅力度をさらに高めていた。しかし、戦闘的な被告を交渉のテーブルに着かせようとする場合、この重要な市場から排除するという脅しが強力な効果を発揮してきたのである。
イーベイのおかげで、一部の侵害者にとって競争相手のアイデアを盗んだ場合に課される可能性のあるコストは、今や基本的に、不利な損害裁定と弁護士費用に行き着くことになった。それでもこの請求書は、業種によっては何億ドルもの規模に達する可能性がある。しかし、今日のグローバルなハイテク製品市場でマーケットをけん引するデバイスから得られる利益に比べれば、その額は大した金額ではない。
その好例は、注目を集めたサムスンとアップル間の特許戦争である。長期にわたる一連の裁判争いでこの韓国の巨大ハイテク企業は5億ドル以上を支払うはめになった。ほとんどの人の金銭感覚からすればこれは巨額と言えるだろうが、世界最大のスマートフォンメーカーとしてサムスンが稼いだ何十億ドルと比べればその一部にすぎない。おそらく「効率的侵害(efficient infringement)」と呼ばれてきたものの最も典型的な例と言っていいだろう。
しかし、これはイーベイ判決のすべてではない。それ以後、最高裁が下した一連の判決が次第に特許権者の権利を弱体化してきた。IPNavの設立者で現在はnXnパートナーズのトップであるエリック・スパンゲンバーグ氏はこう断言する。「侵害訴訟を起こすには、例えば英国などと比較して、米国の方が良いと真面目な顔で主張するような者は誰もいない。そして、英国はこれまで、訴訟を起こすには最悪の場所と言われていたものだ。」
ビルスキー対カッポス事件、分子病理学協会対ミリアッド・ジェネティクス事件、マヨ・コラボラティブ・サービシズ対プロメテウス・ラブズ事件、そして最近のアリス・コーポレーション対CLSバンク事件ではすべて、特許適格性の問題が前面に押し出された。しかしほとんどの場合、特許権者は、何が特許保護を受けられるのかに関して相変わらず不明のままだった。最高裁は明確な区別規定を定めることを回避し、下級裁判所は最高裁の意見をどう解釈して実務に適用すべきかに関して依然確信がもてないままであった。
2015年7月にワシントンDCで開催されたイベントで、USPTOのミッシェル・リー長官でさえ、特許適格性のある主題をめぐり依然として「かなりの曖昧性」があると認め、「我々すべてが、極めて複雑な問題の明確化を望んでいる」と述べた。特許を発行する権限のある政府機関の長が、何が保護の対象になるのか正確に分からないという事態に、米国の制度に広がる不確実性がくっきりと浮き彫りにされている。
米国のハイテク業界にとって最も驚くべきことは、複雑な売買取引の決済を目的とするコンピュータシステムが焦点となった2014年のアリス事件が、ソフトウェアの特許性に関する懸念を一部に引き起こしたことだった。昨年9月、IAMのブログ上で独占的に発表されたレポートにおいて、デビッド・カッポス元USPTO長官と上院司法委員会の元知財法律顧問のアーロン・クーパー氏は、「ソフトウェアに実装された発明が特許適格であり、またそうでなければならない理由」を論証した。彼らがそうした論陣を張らざるを得ないと感じた事実こそ、ソフトウェア業界の知財実務家が存亡の危機に直面していることを示すものである。そしてカッポス氏は「裁判所は、ソフトウェアのイノベーションが特許保護に値しないと判断しているというメッセージを送っている」と付け加えている。
一部には、これは長年繰り返されてきた問題であると諫める声もある。IBMの特許担当最高法律顧問のマニー・シェクター氏は、自身のキャリアを通じて特許性をめぐる論争が周期的に生じてきたと指摘した。しかしその彼でさえ、「現在、これ以上に大きな問題はない」と認める。明確性が必要であり、同氏としてはあからさまに米国議会の介入を求めるほどの気持ちではないが、「議会が行動を起こすことを検討する」ことは望ましいと感じ、「我々は、最高裁から命じられたことをどう実行していいか実際には分からないことを認める時期に来ている」と言い添えた。

注:図には表示されていないが、ソ連の知財局は1964年から1969年まで出願件数で世界最大だった。JPOやUSPTOと同様、ソ連の知財局で
も1960年代初めまで出願件数は横ばいで推移し、その後急増した。
出典:WIPO(世界知的所有権機関)

注:引用した数値は2015年10月のチャイナデイリーの報道に基づく。北京知財裁判所の最新統計データは2015年11月の新華社の報道に
基づく。
峠を越えて
残念ながら、議会は良く見積もっても、不確実性を解消するのに何年もかかり、最悪の場合には、法律をこねくり回して一連の意図しない結果を引き起こしかねないことをあらゆる証拠が示している。2011年米国発明法の成立がその好例である。
50年以上の期間で米国初の主要な特許法である米国発明法により、特許制度が先発明主義から先願主義に変わり、他の大半の制度と一致するようになった。しかしながら、より多くの議論を呼んだのは、USPTOのレビュー手続も抜本的に見直され、裁判所に提訴するより迅速かつ低コストで特許の有効性に異議を申し立てる方法が被告に提供されたことだった。
新たな手続、特にビジネス方法特許レビューと当事者系レビューは、提訴された特許についてその有効性を争おうとする被告の間で大きな人気を得た。
当事者系レビューの月間申請数は約150件の水準に高止まりしており、米国発明法の制定時に予想された月間50件を大幅に上回っている。
そして、ほとんど場合、この新たなレビューは実際に被告に恩恵をもたらした。3年にわたるデータを分析したハーネス・ディッキー法律事務所によれば、異議を申し立てられ、最終書面決定に達したクレームのうち当事者系レビューを生き延びたのは37%しかなかった。その後、この比率は幾分改善したものの、当事者系レビューが米国の全般的な状況の不確実性を高めたことは間違いない。
事態を複雑にしているのは、特許権者に侵害訴訟の提起を一段とためらわせる可能性のある新たな改革が見込まれることである。例えば、2015年には改革法(Innovation Act)案が下院司法委員会で承認されながら最終的には下院での採決により7月に廃案になったが、そこには異論の多い推定的な敗訴者費用負担の条項が含まれていた。この条項は、例えば英国のようにほとんどの場合敗訴者が費用を負担する形へと米国の制度を移行させるものではないが、それにもかかわらず、訴訟当事者にとって現状を大きく変えることになる。
これらすべては、多くの人が諸問題の類のない錯綜としてみなす事態を生み出した。ジョージメイソン大学のアダム・モッソフ教授は次のように述べる。「米国で起きているのは、裁判所の活動が活発化して最高裁が100年以上なかった高い比率で事案を審理し、反トラスト当局がライセンス実務への関心を強め、議会が次段階の改革について継続的に議論するという最悪の状況である。」
また、現状は特許の収益化が必然的にもたらした結果であると主張する向きもある。「知財資産を収益化の源泉と捉える見方が重視されるようになり、人々は以前なら行わなかったはずの特許の主張を開始したため、米国の制度はその脆弱さの一部が露呈されるような道をたどり始めた」と、サリバン・アンド・クロムウェル法律事務所の知財・技術グループ共同責任者のガラード・ビーニー氏は述べる。同氏はその結果、米国の裁判所と議会でその反動が生じ、より多くの特許権者や特許を利用した収益事業者が、米国外に目を向けた特許主張戦略を取らざるを得なくなったと示唆している。

1「勝訴」とは、初判例事件において少なくとも1件のクレームが有効かつ侵害されていると判示された事案として定義される。
2 この数値は、GIP(グローバルIPプロジェクト)の参加者との協議および不完全なデータに基づいて推定したものである。
3 中国では、実用新案と意匠特許の事案が特許訴訟全体の80%以上を占める。
4「U」は有効性と侵害が1つの法廷地で決定される「統一制度」を表す。「B」は有効性と侵害が別個の法廷地で決定される「分離制度」を表す。そのため、有効性と侵害に係る勝訴率を別個に示す。
5「CI」は「民法の国・法域」、「CO」は「コモンローの国・法域」を表す。COの方が審理に至る事案が少ないことに注意。
6「V/I/D」は「有効性/侵害/損害賠償」を表す。
7 このデータでは、260件の特許訴訟事件が本案判決を下されたのに対し、提起された1,265件の特許訴訟には、特許ライセンスや職務発明など特許に関連するすべての事案が含まれている。260/1265は21%となるが、分母が特許侵害訴訟事件だけでないことを考慮するとこの比率は低すぎる。40%が妥当な推定値と考えられる。
8 GIPの定義(訂正なく維持されたクレームのすべてと訂正されたクレームの半数)に従った場合、この水準のデータが入手できないため、より正確な勝訴率が決定できない。この数値は、一切のクレームが無効化されなかった(特許クレームが訂正なく維持された)案件を反映している。出典:韓国知的財産庁(KIPO)特許審判院(Intellectual Property Tribunal)、2005~2009年。
9 この数値は、同一の特許が侵害手続と有効性への異議申立てに絡んでいる場合に限り適用される。ドイツでは侵害事案の多数が、並行的な無効手続を伴わずに判決を下される。
11月にIAMのブログではUSPTOのミッシェル・リー長官へのインタビューが行われた。広範囲に及ぶ議論の中で、長官は米国特許市場の多くの側面について論評するとともに、その特許制度が世界一流であるとする立場を強く擁護した。以下にその発言を紹介する。
米国やその特許制度に何が起きているのかという質問を、海外の読者やIAMの外国の会議のスピーカーから受けることがよくあります。彼らは、判例法の変更や法令の提案、新しいレビュー手続が結局特許権を弱体化させると見ています。これらすべてを考慮した場合、米国がまだ世界一流の特許制度を維持していることをどう立証しますか。
私は、米国が世界一流の優良な特許制度を有していると強く確信している。本職を通して、私は世界中に出かけ、世界の知的財産当局の仲間や責任者と会う機会に恵まれた。多くの国が米国とは異なる知的財産制度よりも、米国に似た制度を求めている。だからといって、現在の栄光に安住して良いとか、なし得る改良はもうないと言っているわけではない。改良すべき点が確実にあるからこそ、イノベーションの性質や我々の制度が変化してきたのだ。それはダイナミックな環境である。そして、米国の知財制度によって常にイノベーションが促進される環境をつくる責任は我々すべて、つまり、行政部門や議会、裁判所にいる者たち、そして率直に言えば、企業やイノベーションに携わる人々にさえある。だから私は実際、米国には最も信頼できる基準があると確信している。米国だけというのではない。素晴らしい制度を持っている国はたくさんある。しかし、米国には世界有数の知的財産制度があり、我々はその結果を目にしてきた。この知的財産制度がなかったら米国の現在の水準のイノベーションは達成できなかっただろう。我々は、ほぼ建国当時からこの制度の恩恵を享受してきた。
しかし、あなたが改めて特許品質に焦点を合わせたのは、米国の特許がおそらくかつてほど強力で有用ではないことをある程度認めたからではないですか。
全く違う。私が品質に焦点を合わせているのは、知的財産が極めて重要であり、特許権が極めて重要であり、USPTOの仕事が極めて重要だと確信しているからだ。また、知財資産は非常に価値が高いので、我々が認めるべきクレームを認め、認めるべきでないクレームを認めず、境界が明確な特許を発行することが非常に大切になる。産業革命まで遡ると、企業にとって最も有用な資産は、工場や機械、棚卸資産などの有形資産だった。しかし、情報ベースの経済やイノベーションベースの経済といった言い方がされるこの時代では、企業にとって最も有用な資産は、工程であり、設計であり、アルゴリズムであり、手段であり、ブランドであると思う。だから、企業の最も有用な資産を保護するために強力な知的財産制度が必要になる。さらに言えば、米国企業は海外でも製品を売っているため、事業展開している国が、知的財産権を尊重し、侵害や偽造、盗用を適切に思いとどまらせる知財環境を備えていることが必要になる。私は、かなりの時間を費やして世界中の同職の人々と協力して、知的財産に関して同じ価値を共有すること、またその国の制度や法律が米国企業だけでなくその国内企業にとってもイノベーションを助長することができるよう努めてきた。世界全体のイノベーションの水準を引き上げられれば、全員がそれだけ豊かになれるだろう。我々は、最も革新的なアイデアが市場に到達して報償を与えられ、その結果、その素晴らしいアイデアが世界中に輸出されて成功を享受できるような環境を目指している。そのため、私は、長い時間を費やして他国の同職の人々や議員、知財当局の責任者と協力し、様々な国の司法関係者のほか税関の執行官などと話し合い、すべてのイノベーターが平等な世界市場を享受できるようにするための手段の整備に努めてきた。
欧州の答え
ドイツが、特許訴訟の法廷地として効率的かつ比較的低コストであることは決して重大な秘密ではない。「ドイツには極めて優れた裁判制度があり、非常に長い間人気を保っている」と、エリクソンの特許戦略・ポートフォリオ管理担当バイス・プレジデントのグスタフ・ブリスマルク氏は言う。一方、過去10年、特許権者にとって米国の状況が厳しさを増すにつれ、ドイツの人気は一段と高まった。たとえ損害裁定は米国の水準をはるかに下回るものの、専門裁判官による審理、厳格なコスト管理、欧州最大の経済国で差止命令を取得する可能性など、その魅力は明白である。
その結果、米国のNPEはますますドイツの裁判所に侵害訴訟を提起するようになっている。マラソン、アカシア、インテレクチュアル・ベンチャーズ、ブリンゴ、アンワイヤード・プラネットなどはすべて同国で提訴した。ドイツはまた、スマートフォン戦争の最盛期にも人気の高い法廷地であることが証明され、アップルとサムスンが訴訟を開始し、モトローラはマイクロソフトに対する差止命令を勝ち取った。Windowsの巨大企業は、市場から排除されるリスクが要因となり、販売センターをドイツからオランダに移すことになった。
しかし、欧州で提訴した経験がある人、あるいは異なる法律制度に精通している人の多くが、特許権者にとって頼りになる「スピード審理」のテキサス州東部地区連邦地裁に取って代わる欧州の法廷地はドイツではないだろうと警告する。
第1に、現地の弁護士は根拠の乏しい事案には慎重である。国営特許ファンド、フランス・ブルベ(France Brevets)のライセンス担当シニア・バイス・プレジデントのヤン・ディートリッヒ氏は、次のように説明する。「ドイツの弁護士はメリットがなければ事案を引き受けない。主任弁護士にとって最も大事なことは裁判官との関係である」。さらに、差止救済の魅力にもかかわらず、ドイツで実際にそれを行使することは、言われるほど簡単ではなく、とりわけ、行使プロセスの開始時に数百万ユーロの保証金を供託しなければならないことが問題になる、と指摘している。
欧州に対する注目の多くは依然としてドイツに集中しているものの、単一特許制度と統一特許裁判所(UPC)の発足で状況が変わる可能性がある。今年末か2017年初めに施行予定のこの新制度は、欧州全域に及ぶ執行制度を確立するものである。パリには中央裁判所、ミュンヘン(機械工学関連事案)とロンドン(医薬品を含む化学関連事案)には専門裁判所が置かれるほか、設置数は未定であるが地方部門も設けられ、ルクセンブルクには控訴裁判所、リスボンとリュブリャナに仲裁調停センターが設置される。
ドイツの裁判所と同様、UPCの魅力は、専門裁判官によって事案が審理されること、および訴訟費用が、簡単に300万ドルに達し得る米国よりも低額なことである。さらに、特許権者は欧州全域に及ぶ判決を取得できるため、損害裁定や差止の脅威が、1国のみに適用される勝訴判決に比べはるかに強力である。
この新制度に対する懸念は主に、米国の制度の最悪の側面、特に法廷地漁り(forum shopping)がどの程度欧州に輸出されるかという点に集中している。例えば、ルーマニアやマルタが、テキサス州東部のような役割を欧州で果たすことになるだろうか。しかし、こうした懐疑的見方には大局観が伴ってないとする示唆がある。
元USPTO長官で現在はクラバス・スウェイン・アンド・ムーア法律事務所のパートナーであるデビッド・カッポス氏は次の点を強調する。「重要な経済措置の後には論争が続く。私は、EUの状況が制御不能になって悪循環に陥る重大なリスクがあるとは思わない。単一特許とUPCは、特許活動、イノベーションへの資金提供、さらにはライセンシングや合弁会社といった収益化に絡む活動の増加をもたらすと確信している。確かに訴訟は増加するかもしれない。しかし、それはすべて、素晴らしいアイデアを市場の経済的成果に変える欧州の能力の向上の一部なのだ。」
さらに、欧州特許庁(EPO)は最近、発行する特許の品質について賞賛を受けている。昨年夏に公表されたIAMの最新のベンチマーク調査によれば、企業の回答者の60%はEPOが付与する特許を「優秀」または「極めて良好」と評価した。これは、五大特許庁(他に日本、韓国、中国、米国の特許庁を含む)の中でずば抜けて高い評価である。この点、欧州は、米国で提起されてきた、低品質の特許に基づく根拠の乏しい訴訟に対しはるかに強力なヘッジを有している。
こうした特許品質の重視は、マイクロソフトなど米国の大手ハイテク企業の一部が、世界全体の出願のテンプレートとして欧州技術基準を採用したという事実によっても浮き彫りにされる。このことは、付与された特許の品質を高水準に維持すること、およびかかる品質が、アリス事件で提起されたような根拠に基づく有効性への異議申立てに対する防御として機能することに寄与する。
東洋の約束
しかし、特許権者にとって米国の特許制度の魅力が次第に色あせている背景にあるのは、欧州の発展だけではない。中国では、知財制度が抜本的に見直され、イノベーション経済への移行が継続的に重視されている。これを受けて、外国企業は世界一人口の多いこの国を提訴の候補地として捉えるようになった。確かに、欧米企業の間には、法の支配の強固性や国内産業保護政策に関する冷めた見方が明らかに相当強く残っているものの、今や中国への姿勢は変わり始めている。
クアルコムでアジア地域の特許担当ディレクターを務め、現在はラウズに在籍するエリック・ロビンソン氏によれば、つい最近の2010年においてさえ、中国の知的財産権は「ジョーク」とみなされていた。しかし、過去5年、政府はアプローチを大転換し、国内のイノベーションを促進する最善の方法として強力な特許権保護を主張し始めた。「国内産業に大物が誕生すると、その時点で保護すべく対象が生まれる」と同氏は言う。
2014年末、北京に知財専門裁判所が開設され、続いて上海と広州に専門機関が設置された。これらは急速な成功を収め、北京だけで初年に8,000件近くの訴訟が提起された。おそらく最も顕著なことは、その訴訟のほぼ40%に外国訴訟当事者が絡んでいたことである。
欧州と同様、訴訟当事者は、差止救済を享受できる可能性、比較的迅速な判決の保証(ロビンソン氏によれば、概ね6~12カ月)、および総じて特許権者に寛容とみなされる司法制度に引き付けられている。スパンゲンバーグ氏によれば、こうした中国の転換が顕著なため、同氏は現在最初の侵害訴訟を同国で提起しようとしている。
さらに、中国で知的財産の重要性が新たに見いだされたことは、特許出願の増加によっても裏付けられる。2014年に中国特許庁は90万件以上の出願を受理したが、これは米国と日本を併せた数よりも多い。一部の観測筋は、その多くはまだ質が疑わしい可能性があると示唆する。しかし、中国企業が次第に世界の舞台で競合するようになっている状況で、ポートフォリオの質に改善の余地があることは不可避と思われる。
実際、特に技術セクターにおける大規模な国内企業の急成長が、中国などの新興国で知的財産に対する姿勢を変えるのに大きく寄与してきた。同時に、欧米の多国籍企業のライセンシング活動も変えた。エリクソンのブリスマルク氏はこう述べている。「ポートフォリオの使用許諾にあたり、これまでは米国と欧州だけに目を向ければ十分だった。そうすれば、業界内の主要企業すべてを捉えられたからだ。今では、様々な国に現地の支配的企業がいる。そのため、新たな市場で特許を主張することが必要になっている。」
例えば、このスウェーデン企業はインドで多数の勝訴を獲得し、同国が格好なビジネスの場となっている。例えば2015年9月、デリーの裁判所は、エリクソンが提訴したインド企業iBallに対し輸入禁止の判決を下した。その結果、iBallは直ちに交渉のテーブルにつかざるを得なくなり、最終的にエリクソンのポートフォリオに対する世界ライセンスを取得することになった。
中国と同様、インドでも知的財産に対する姿勢が変化しているようである。政府は、知財専門裁判所を設立するとともに、増大する未処理の出願を削減することを1つの目的として特許の出願手続を迅速化する法律の制定を検討している。これらのイニシアティブは主に、長年にわたりインドにおける知財保護の欠如を批判してきた製薬業界からの要求に対応しようとするものである。しかし、エリクソンの最近の勝訴が示すように、多数の知財を抱える全セクターの外国企業が恩恵を受けられる状況になった。
しかしながら、インドや中国で進展が見られるにもかかわらず、多くの外国企業は、これらの新市場に対し依然として相当に慎重なアプローチを取っている。これにはそれだけの理由があると思われる。例えば中国では、政府がイノベーション経済への注力を声高に喧伝する一方、反トラスト当局は欧米数社のライセンシング実務の厳しい精査を続けている。
2015年2月、クアルコムは、国家発展改革委員会(NDRC)の捜査を受けた後、9億7,500万ドルの罰金を受け入れるとともに、中国におけるライセンス方針の見直しに同意したことを明らかにした。インターデジタルも、NDRCの捜査開始後に同国におけるライセンス方針を変更することに同意した。
これは、行きすぎたライセンス料から国内企業を保護しようとする中国当局の一斉的な試みと思われる。しかし、反トラスト当局が、乱用の可能性のあるライセンス活動に目を光らせているのは中国に限らない。例えば、クアルコムは、特に標準必須特許のライセンスが精査の対象となり、韓国、欧州連合、米国でも捜査に直面している。
反トラストに関する懸念に加え、多くの企業は、法の支配への中国の注力も依然として疑問視している。
NPEは、中国の裁判所がどれほど原告に寛容かを試すことを1つの目的として、事業会社を提訴するリスクをとる用意があるものの、同国では考慮すべき要因が非常に異なる。そうした提訴は、反訴の公算を強め、中国の主要サプライヤーを長々と続く法的手続に引きずりこむ可能性がある。さらに、外国企業が、明らかに国内の覇者とみなされている国内大手企業に勝てるかという点に関し依然強い懐疑的見方がある。「その制度を完全に信頼できるようになるにはまだ30年ほどかかると思う」とサリバン・アンド・クロムウェル法律事務所のネーダー・ムサビ氏は言う。
また、これらの懸念が一因で、米国で発達したような、特許資産を扱う強固な流通市場が育つにはまだ何年もかかる可能性がある。「ニューヨークの資産運用担当者に「中国の知財収益化の活動に投資したら」と言ったとすれば「冗談じゃない」と言われるだろう」とカッポス氏は主張する。こうした状況が変わるには、「中国企業と外国企業のどちらも、事実と法律という要因だけに基づいて勝つべきときに勝ち、負けるべきときに負けるようになることが必要である」と同氏は続けた。
金融の後追い

ムラリ・ダーラン CEO、IPバリュー
「特許の世界は、数カ国 からの出願のセットが 大半を占めるようになる 可能性がある」
IPバリューのムラリ・ダーランCEOによれば、中国などの特許市場のダイナミクスの変化を大局的に把握する1つの方法は、現代の金融システムの発展に目を向けることである。多くの証券法や証券実務は米国で発達したかもしれないが、間違いなく、現在の金融界はニューヨーク、ロンドン、香港という主要な金融センターに分割され、副次的な中心地がフランクフルトやシンガポールなどにある。ニューヨークは依然として世界の金融界の首都とみなされているが、今日では「同類中のトップ」と言った方が適切である。
ダーラン氏は類推を金融市場まで広げてこう示唆する。世界が、ドル、ユーロ、ポンド、円、元といった準備通貨の集まりによって支配されているのと同様、世界の特許制度、特にライセンス制度は、数カ国からの特許出願が基礎になるかもしれない。そして同氏は「知財の世界は、米国に支配された一枚岩的な市場ではなく主要通貨群として捉える必要があると思われる」と結論付けている。
今日のライセンス制度は1980年代の現代ハイテク産業の発達に遡ることができる。この産業の多くの部分は当初米国によって支配された。IBMなどの企業が自社のポートフォリオの収益化に着手するのに伴い、米国で発行された特許が市場を席巻するようになった。この制度は、米国の裁判所、特に連邦巡回区控訴裁判所によって支えられ、米国の裁判所が特許権の強力な擁護者となった。
このように、米国市場の首位の座がもはや保証されなくなった背景には、この世界最大の経済国における特許権の弱体化だけでなくハイテク業界のグローバル化もある。サムスンやレノボ、ファーウェイといった主要企業の出現が、主な新興国における特許権の捉え方の変化を促したのである。
ポートフォリオの収益化を目指す大手多国籍企業にとって、多極的な特許世界への発展は概ね歓迎すべきものであろう。こうした発展に伴い、今や主要市場をカバーするために世界全体で出願することが必要になっている。これは、過去10年間にわたり特許出願手続きの主要トレンドの1つとなった展開である。その結果、出願料や維持費が上昇する。しかし、知財権の強化や専門的な法廷地の新設により、大手多国籍企業が特許の防御や主張に成功する確率が上昇すると同時に、ますます厳格化する米国の環境が幾分緩和されている。
知財権の強化や専門的な法廷地の新設により、大手多国籍企業が特許の防御や主張に成功する確率が上昇すると同時に、ますます厳格化する米国の環境が幾分緩和されている。
しかしそうは言うものの、まだ誰も米国を見限りはしないであろう。1つには、同国の特許資産の規模自体が他に類を見ない水準にあるからだ。「欧州の特許品質は極めて良好だが、利用可能な資産数の点で米国に及ばない」と、米国、欧州、アジアの取引についてクライアントに助言を提供してきた、イスラエルのシェイクト・アンド・カンパニー法律事務所の弁護士リリアン・シェイクト氏は言う。
「我々のビジネスの多くの部分について、今後も米国の制度が最も有用とみなすだろう。しかし、過去数年、少数の法管轄地域が同レベルにかなり近づいた」とIBMのシェクター氏は付け加える。
今のところ、米国の振り子は強力な特許権から離れる方向に振れているかもしれないが、間違いなく、同じように簡単に揺り戻しがくる可能性がある。例えば、控訴裁や場合によっては最高裁が差止救済に関する判決を変え、特許適格性のある主題の問題を明確化したとすれば、米国における不確実性の多くが一晩で消失するかもしれない。これらはまず考えられないことながら、米国のシステムに匹敵する活力を持つ市場はほとんどないということは周知の事実である。
世界の特許市場が前例のない変化の時代に突入したことがますます明らかになってきたよう思われる。この変化の展開には多年を要する可能性が高い。米国は今後も中心的地位にとどまるだろうが、その支配は終焉を迎えるだろう。特許の新たな世界秩序が現れつつある。
行動計画
米国は、特許が収益化可能な資産とみなされていたうちは、世界の特許市場を支配してきた。しかし、今や状況は変化しつつある。
- 過去10年間、米国では立法措置や一連の重要な裁判所判決により特許権が弱体化したと広く認識されている。
- 米国の環境が寛容さを失うにつれ、自身の権利の収益化を追求する特許権者にとって、欧州、特にドイツ市場の魅力が高まっている。
- 中国やインドなど新興国で特許訴訟を提起しようとする特許権者も増えている。
- 米国は常に世界の知財市場の重要部分にとどまるだろうが、将来は独立した存在というより同類中のトップになる可能性が高い。